なぜJACKIEなの?

 なぜ香港人は英語の名前を持っているのか?から話していこう。

 話は阿片戦争でイギリスが香港を植民地にしたところまで遡る。
大量の英国人教師を香港へ送り込み香港人の子供たちに英国式教育をおこなった。
教師は子供たちの廣東語の名前が発音しずらく、あだ名のように英国人の名前をつけたのがはじまりらしい。
ジム、エディ、ケント、マイケルといった感じで名付けていった。
現在では、もちろん教師が生徒に名付けることもあるが、両親が名付けたり、自分で決める人もいる。
 僕の友人で知り合ってから、2人英語名を変えた。
そのうちの1人が僕にJACKIEと名付けた人物。

 

 話を元へ戻そう。

子供の頃からジャッキーチェン好きの僕は、大人になることを待ちきれずに1991年、高3の夏休みに香港へジャッキーチェンに逢いに行った。
初めての香港。
初めての海外1人旅。
1歩歩いても、2歩歩いても香港である。
10泊11日、緊張と興奮。
知ってる人はジャッキーチェン以外、誰もいなかった。
その頃に出逢った多くの香港人が30年経った今も友達である。

 

滞在中のある日、とても疲れてホテルで深い眠りにつき、空腹で目覚めた。
時刻は21時半をまわっていた。
(腹減った、何か食べたい)
数日前にレセプションのスタッフが「上にレストランがあるよ」と教えてくれたのを思い出し、一目散に向かった。
席に案内してもらおうと入口で立っていたら、スタッフが来て「ラストオーダー終わったんで」と言われたが、
「お茶だけ飲ましてもらえませんか?すぐに出ますから」と頼みこんだら、渋々了承してくれた。
すぐにレモンティーを飲み終え、レストランを後にした。
(さあ、何処で何が食べれるのか?)
不安しかなく、ホテルのエントランスを出るとすぐバス停があり、私服でレセプションの女性スタッフが立っていた。
知らない顔ではないので、「Hi」と声をかけると、
彼女は「お願いがあるの」
「何?」
「81Cというバスを停めて欲しいの。メガネ忘れちゃって」
「いいよ」
5分ほどしてバスを停め、見送った。
雨が降り出した。異国の地で空腹。
彌敦道(ネイザンドウ)沿いの店はほとんどがラストオーダー後のような感じだった。
その辺りを大きく1周まわり、今度は路地を縫うように歩いた。
少し歩くと電気が煌々とついている店を発見した。客もかなりいる。
看板には『〇〇粥麺店』と書いてある。
入口のキャッシャーの所に座ってる店主らしいおばさんに指で1人のポーズ☝を見せると、おばさんは中に入れのジェスチャーと廣東語で何か言っている空いてる席を指してくれた。
(良かった。何か食べれる)
きっと僕の顔は安堵の表情だったに違いない。

 

席に着くと、廣東語で「何にするの?」的なことを聞かれたが、英語を話すと応じてくれた。
壁一面にメニューが貼ってある。
牛肉麺(牛肉の煮込みが載った麺)』を指差したら、首を横に振られた。
次に『牛腩麺(牛バラ煮込みの載った麺)』を指差したら、首を横に振られた。
次に『牛肚麺(牛ホルモン煮込みの載った麺)』を指差したら、首を横に振られた。
「麺が売り切れなの。粥ならあるわよ」だって。
「牛肉粥で」
「飲み物は?」
「レモンティーで」

食事が終わり、会計を済ませて出口を出ようとすると出口前に座っている男性客が腕を出し、僕の行く手を遮った。

 

まるで映画の1シーンのようだった。
見回すと5人の男女が座ってる。
そして、僕の行く手を遮った男性が廣東語で多分、「椅子とグラスを持って来て」的なことを言っていたのか ?
椅子が一脚追加され、
「まあ、座れ」と言って、その椅子を指差した。
僕は一体全体何が起こっているのか?理解できずに言われるがまま座った。
(この人たち、誰なんだ?他の人と勘違いしているのか?)などと考えながらも
ある事件が頭をよぎった。
『若王子支店長誘拐事件』
詳細はここでは省く、興味ある人は調べて欲しい。
事件が起きたのはマニラだが、若王子さんの肉声テープが投函されたのが香港だった。
グラスにビールが注がれ、マルボロを勧められた。
僕は当時17歳だったが、全ての勧めを断らなかった。
その件で今でも何らかの罪を問われるのなら、甘んじて受ける覚悟はできているので、書いている。
若王子さんは犯人に始末されないために、出された食事を全て平らげ、要求を全てのんだ。
僕は彼の考えに倣って、勧められるがままにした。
「ところで、どっから来たんだ?」
「日本から」
「何しに?」
「ジャッキーチェンに逢いに」
男性は爆笑して、おそらく廣東語で「こいつ、成龍に逢いに来たんだってよ」と言ったと思われる。
成龍(センロン)』という言葉が今でも印象に残ってる。

 

今度は女性が僕に質問してきた。
「それで、逢えたの?」
「うん」
「どこで?」
「青衣フェリーピアとゴールデン・ハーベスト」
「本当に?私、本物見たことがないな。」
そんな会話が続いていた。
その中の1人の男性は完全に酔ってるらしく、僕にジャッキーチェンの歌を唄ってやると、河合奈保子とのデゥエット曲『愛のセレナーデ』の廣東語曲『艶情夜曲』をずっと唄っている。
でも、この人たちが誰だか分からない。

ここからが本題。
皆、自己紹介してくれた。
僕は自分の名前を漢字で書いて見せた。
皆は英語の名前を教えてくれた。

女性が「香港人のほとんどの人は英語の名前を持っているわ。あなたの名前は長いわね。私が英語の名前を付けてあげる。ジャッキーチェンのファンだから、JACKIEね」
この時から、香港へ行く度に
「我 係 JACKIE(僕はJACKIE)」と自己紹介するようになった。
日本でも数人、僕のことをJACKIEと呼ぶ人がいる。
JACKIEと呼ばれることが一番嬉しい。

前回のつづき

名前の由来はわかっていただけたと思う。
名付けてくれた女性は30年以上経っても友人で、今だに交流があり、「家姐(ガーチェ=血の繋がったお姉さんという意味)」と呼んでいる。

名前が決まり、皆が「JACKIE」と呼びはじめた。
でも、まだこの人たちの正体を知らない。
「ところで、あなた方はどなたですか?」
痺れを切らせて質問してみた。
男性が逆質問して来た。
「お前、〇〇ホテルに泊まっているだろう?」
僕は「うん(やばい。宿泊先がバレてる)。」
男性が続ける。
「今日、レモンティー飲まなかった?」
「うん(ますますやばい、行動まで知られてる)。」
男性は名付けてくれた女性の顔を指差し、
「この顔に見覚えないか?」と言った
僕は考え込んだが、わからない。
女性が
「ラストオーダーの後に来たじゃない?」
「あっ」
そう、皆ホテルのレストランのスタッフだった。
制服を脱いでいるし、初めてレストランで見た顔だし、こっちは何処でどうやって腹を満たすか?だけを考えていたから、覚えていなかった。というオチ。

随分、長文になってしまったが、『JACKIE』という名前のエピソードでした。
まだ、この時に別のエピソードもあるが、それはいつか書くとする。